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悠山柏州

Author:悠山柏州
姓はクマ名はゴロー、人呼んで悠山クマゴロー

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魔女の下着
往年の快速帆船大往生

20070531183830.jpg「カティサーク」が炎上したそうな。
快速帆船「カティサーク」、19世紀中国からイギリスまで、紅茶を高速で運ぶ帆船ティークリッパーの中でも、最も代表的なものである。
それは又、若かりし頃酒場でよく飲んだスコッチウイスキーの名前でもあった。そのラベルに描かれたスマートな帆船。その芳醇な香と共に「カティサーク」と言う名前が、何とも心地よく耳に響いた思い出がある。
どう言う意味であろうかと調べてみた。そしてそれは、スコットランド語で短いシュミーズを意味すると知った。魔女の手から命からがら逃げ仰せた男の、短い伝説が添えてあった。そういえば「カティサーク」の船首に飾られた像はそれを纏った魔女であったのだ。道理で何となく心の疼く船名であったのも納得が行くと言うものだ。
ロンドン郊外のグリニッジで改修中の火災で、放火の疑いもあるという。1950年、同じく放火で焼け落ちた金閣寺ほどの文化遺産であるかどうかは疑問だが、秀麗な姿をした名クリッパーの最後は日本のクマゴローにとっても衝撃的ではある。
山中湖でこれまた秀麗な逆さ富士に心打たれて帰宅した、その晩のニュースとしてはやはり相応しいものでは無かった。
(最近の政治情勢は、語るに地に落ちたと言うほどお粗末極まりない。言の葉スケッチのページがもったいない気さえする)



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未分類 | 18:56:53 | Trackback(0) | Comments(2)
何処から見ても・・・
五月晴れ逆さになっても富士は富士

19日(土)20日(日)と恒例のテニス合宿で半年振りの山中湖畔に出かけた。
旧日本IBM六本木事業所(今は人手に渡り建物も取り壊されて跡形も無い)の有志で作ったテニス同好会の行事で、20年以上も続いている合宿である。当時の若者達(?)も今や一人を残して全員退職し、あるいは別の会社で生業を得、又あるいは年金で細々と生活している有様である。テニスに関する情熱は今も一向に衰えた節は見受けられないのが素晴らしい。ただこの間、3名のメンバーに再会出来なくなったのが寂しく、その話題に歴史を感じさせる。ここ数年はクマゴローが在職していた会社や、後輩の在職している会社の二十代の若手メンバー、更に後二つの団体のテニス気狂いが合流し、益々この合宿が隆盛を極めているのである。グループ名も合宿所の名前を採って、「ユートピアテニスメイト」となった。今回は22名の老若男女の参加であったが、少しすくな目と言ったところか。
二日間は文字通り見事なまでの五月晴れであった。未だ半分雪の残った富士山の見事なこと。
早朝、平野の湖畔から湖面に映る逆さ富士もまた見事と言う他はない。展望台からは、右裾野の上に南アルプスがくっきりと遠望出来た。
20070522010224.jpg今回に続き、立川テニス倶楽部有志の夏合宿、秋のユートピア合宿と続いて、折々の違った顔の富士を楽しめるのである。
何時、何処から、どの角度から見てもやはり富士山は美しい。美しすぎては絵になりにくく、画家たちはかえって敬遠すると言う。富士の絵は葛飾北斎は別として、横山大観に尽きてしまうのである。
   (May.21)



未分類 | 01:20:20 | Trackback(0) | Comments(4)
若葉の麦秋
麦秋の古都にあふるる青若葉

麦秋は初夏の季語。国道10号線沿いに黄金色に輝く麦の穂が大きく波を打つ。これが刈り取られた後は直ちに爽やかな青田に変身するのである。鮮やかな若葉の林に囲まれた麦の秋、この対比が何とも面白い。
20070518004941.jpg
ここは豊前の穀倉地帯、福岡県京都郡豊津町。京都郡は「みやこぐん」と読む。何故此処が「みやこ」と言う地名になったのか、寡聞にして知らず。分かっているのは、かつてこの豊津と言う地に豊前の国府があり、聖武天皇の命により豊前国分寺が建立されたと言う史実だけである。筑前から豊前にかけては伝説・史実を含め、日本史上様々な動きの激しいところであった。日本武尊の子仲哀天皇の熊襲討伐の話、その皇后である神功皇后とその子応神天皇による朝鮮新羅攻略の話(日本書紀)、それに纏わる色々、宇佐神宮との関係・・・何しろ一杯ある。
セメントの町、田川郡香春町(かわらまち)と京都郡勝山町を隔てる仲哀(ちゅうあい)峠を穿つ仲哀トンネルを、かつては良く走ったものだ。
それは兎も角、「豊津」と言う町はその名が示すように周防灘の豊かな海の幸と温暖な気候がもたらす穀類の収穫で、昔から餓える事は少なかったのではあるまいか。国の豊かさと力は穀物の収穫量で概ね決まる。そう考えると、豊津が豊前の国府であった事も不思議ではない。
クマゴロー生誕地若松は豊前国の北端である。海の幸は豊富であるが、果たして山の幸は・・・・?
10号線を豊後湯布院に向かって走りながら、様々な思いをめぐらせた初夏の昼下がりであった。 (May.14)


未分類 | 01:06:40 | Trackback(0) | Comments(2)

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