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悠山柏州

Author:悠山柏州
姓はクマ名はゴロー、人呼んで悠山クマゴロー

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吾も亦紅なり
七草の端に加えよ吾も亦紅

20070824001118.jpgワレモコウ(バラ科、花は8?10月)、名は「割れ木瓜(もこう・ボケ)の意で、小さな花の蕾が紋所の「木瓜」に×印をつけたような感じになるからと言う。、吾木香・吾亦紅とも書くが、これは後の当て字と言う説を読んだ。
但し、クマゴローとしては
  吾も亦紅なりとひそやかに   高浜 虚子
の句にあるように、吾亦紅の方が好きである。
最近は自然の吾亦紅を見ることが少なくなった。それだけに、秋の野山を歩いていてこの花を見つけたときの嬉しさには格別なものがある。
か細い茎の先に、くすんだ茶色に近い赤みがかった花を付け、葉っぱの印象は薄い。地味で決して美しい花には見えない。道行く人でこの花を知らない人は、恐らく目に止めることは無いであろう。それだけに「吾も亦紅なり」と訴えるその名が、一層愛おしく感じられるのである。小さな花の寄せ集まりで、よく観察するとその花の色は思いもかけず鮮やかな紅色であることに気付く。「吾の紅色を見てくれ!」と必死に訴えているようだ。この名を付けた繊細な感性に驚く。
20070824001141.jpg萩・尾花・葛・撫子・女郎花・藤袴・桔梗は秋の七草と呼ばれるが、クマゴローとしてはこの吾亦紅を是非その一端に加えて欲しいと思う。赤系の花は萩・葛・撫子であり、吾が入る余地は無いと言うことか。ならば「春の七草・秋の八草」でも良いではないか。控えめでは有るが、これ程秋を感じさせるに相応しい花は無いと思うのだが。
トルコ桔梗と共に描いた吾亦紅。出来栄えは兎も角として最後に吾亦紅を描き込んだ途端、主役が映えた。
正に光を演出する影の存在であった。 (Aug.23)



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未分類 | 00:29:29 | Trackback(0) | Comments(6)
琴の音響き桜散る
琴の音に短き命散る桜花

20070815120732.jpg先代佐渡ケ嶽親方(元琴桜)が昨日亡くなられた。敗血症による多臓器不全だとの事。癌が全身に転移していたと言うことか。
琴光喜の大関昇進を観てのご他界だった。ご冥福をお祈りしたい・・・・・・合掌

特に相撲に縁が有る訳でもないクマゴローが、このモチーフを取り上げたのには訳がある。先代親方は私が相撲界で唯一間近に同席し、しばしの会話を楽しんだ方であったのがその理由。

福岡に在任中、オフィスは博多駅前にあった。博多は徳川幕府天領の商人町。此処はかつて那の津と呼ばれ、東シナ海・日本海のポータルとして交易で栄えた町であった。中洲川端商店街は博多商人の活躍場所として今なお賑やかである。商店の旦那衆が谷町として贔屓していたのが、「猛牛」と呼ばれた元横綱琴桜であった。
今から二十数年前、営業所のバイト事務員に松田恵美子さんと言うお嬢さんが居た。川端商店街の刺繍屋の娘である。この娘さんの結婚式に主賓の一人として呼ばれたが、当日右横に大男が座った。佐渡ケ嶽親方その人であった。小さくは無いクマゴローも親方の前ではクマとシカで、気配に圧倒された。挨拶が終わった後は無口で居るわけには行かない。その内打ち解けてくると同年代と分かり、次第に気もほぐれて来た。新弟子採用の苦労話、その子達の育成と指導・技術の向上・部屋の経営、等々話は尽きない。そして、角界と言えどもサラリーマン管理者と同様の問題と悩みを抱えていることを知り、親近感を覚えた。優しい眼差しで人物の大きさを感じさせ、我が未熟さを思い知らされたような印象が今も強く残っている。
その後佐渡ケ嶽部屋を意識して眺めると、琴風(尾車親方)、琴錦、琴富士、琴の若(佐渡ケ嶽親方)、琴欧州、琴光喜、琴奨菊、琴春日、琴ケ梅、琴稲妻・・・「琴」の字が目に付き、他を圧倒している。が、これも先代の人物像を思い出すと合点できる話だ。余興では演歌に定評のあった大関琴風が一曲歌い、列席者で博多甚句、博多締めの手拍子で閉会した思い出が懐かしい。  (Aug.15)


未分類 | 15:23:05 | Trackback(0) | Comments(4)
「民意」とは、何者?
皆の者これが民意ぞ頭が高い

7月29日の参院選で「民意」が出た。 
途端に政治家の発言や行動が微妙に、あるいは激しく変化し始めた。まるでのぼせた頭にバケツで水をぶっ掛けられたように・・・・。それでもそこには、死に体に鞭打って体勢を立て直そうとする健気なレイムダックの姿も見受けられはしたが・・・。
「民意」とは「国民の意見」である。例えば政党支持率、内閣支持率・・・等が紙上に載せられ、コンマ以下の数字ですら大騒ぎして取りざたされる。これも一種の民意には違いないが、よく見ると母集団はせいぜい2?3千台でしかない。これを民意と呼べるのであろうか、と常々思うのである。
国政選挙も大同小異。そもそも投票率そのものがせいぜい40%台である。さらに、圧倒的に当選数が多くても得票総数は下回っていると言う事がある。これは、選挙制度の成せる一種のまやかしであろう。それでも結果が出ると「国民の総意は・・」とか「民意を受けて」とか、天下を取った発言が飛び出す。一昨年小泉が打った郵政民営化選挙がその好例である。
そう言う意味では「民意」と言う奴、「ひずんだ民意」「一部の民意」を「全体の民意」と錯覚させる危険極まりない代物と言えよう。ただ中身は兎も角、今回の選挙のように結果が環境を劇的に変化させると、やはり数字と言うものは良きにつけ悪しきにつけ意味があるものだと思わざるを得ない。獲得議員数は別として「本当の(何が本当か分からないが)民意は違うのだ」と、数字の裏を読んで続投宣言をしたと言うなら、安倍晋三と言う男相当のしたたか者かもしれない。但し、「今回の選挙は安倍晋三を選ぶのか小沢一郎かを問う選挙」と叫びまくった手前、やっぱり格好が付かない。
新たな「民意」が悪しき流れを是正する力になれば、と切に願う次第である。
APX200708050004[1].jpg
昨日のニュースに「ヒラリー氏、ブロガーの集会でブーイング浴びる」と言う記事が目に付いた。「ブロガー」即ちブログを更新している人の事をこう呼ぶらしい。インターネットの民意の力は侮れない。と言うより今やそれが最強の声になろうとしている。それは、国境を越えた民意作りの機構なのだから。 (Aug.14)



未分類 | 00:22:11 | Trackback(0) | Comments(1)
朝顔や・・・
朝顔の露の干ぬ間に紅をさし

夜露に濡れた朝顔。陽が昇るとそれは消える。
露が乾かぬ時間に化粧を済ませ一刻も早く・・・気持があせる。何処へ?仕事や買い物であれば絵にならない。デートでなければならない。とまあ、これは正真正銘のクマゴローの駄作である。
20070802111219.jpgテニス仲間の一人から次の問題提起があった。
「加賀千代女は
朝顔や釣瓶とられてもらひみず”
朝顔に釣瓶とられてもらひみず”
の二つの句を残している。句碑、切手などには普通“朝顔や”の句が記されている。上の二つの句はどちらがお好きですか。どちらが優れているのですか。小生は、“朝顔に”の方が瑞々しさを感じ、“朝顔や”の方は、ちょっと離れた所(心理的に)から見ているよそよそしさをを感じるのですが」
と。
調べてみると幾つかの説があった。
曰く「当初は『朝顔に』であったが35歳の時に『朝顔や』に詠み直した」。曰く「『朝顔に』は俗説である」等。何れが正しいかは分からないが、最終的には「や」らしい。千代女は朝顔の俳人と言われるように、朝顔を詠んだ句が沢山残っている。そして、その全てが「朝顔や」で始まっている。とすれば、これが彼女のスケッチ技法と言うことになるであろう。唯、受け手によって好き嫌いがあって良いのかも知れぬ。
芭蕉の「古池やかわず飛び込む水の音」と言うのがあるが、これがもし「古池に」であったらどうであろう。感覚的には「」と来ると何となく直線的で説明しすぎの感がある。「面」で描くとすれば「」の方が陰影を感じる気がしないでもない。
日本語の微妙さに改めて感じ入った次第であり、仲間の良き問題提起であった。
さすれば冒頭の駄句「朝顔の」は「朝顔や」と訂正すべきであろうか?否、その価値も無さそうだ。
今日から8月、遅きに失した梅雨明けであったが本格的な朝顔の季節が始まる。
(Aug.1)


未分類 | 11:56:22 | Trackback(0) | Comments(2)

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