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悠山柏州

Author:悠山柏州
姓はクマ名はゴロー、人呼んで悠山クマゴロー

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頑張れ!ケンタ
預けられ不安な瞳残しおり

明日はケンタの手術の予定日。前日の今日、夜七時に入院となった。
場所は武蔵境駅のすぐ脇にある日本獣医生命科学大学(以前の獣医畜産大)、医療センター。
近代的建物と設備を持っており、驚くことにPET検査センターまで持っている。そんじょそこいらの総合病院以上なのだ。
5年ほど前、膀胱癌で手術をした時も、矢張りこの病院であった。掛かりつけの近くの獣医が当大学出身者のため、大手術となればどうしてもここの先生に紹介状を書いてもらうことになる。
ケンタは動物の感で分かるのか、家を出る時から大人しく、と言うより何だかしょんぼりして、車にうずくまっていた。車が嫌いで、何時もは落ち着き無く騒ぎまわるのに・・・。
20071126233410.jpg
先生の話を聞き、入院手続きをしている最中も元気が無い。何だか急に老け込んでしまった様だ。
帰り際、診察室の扉を閉める時に見た不安そうな瞳が「もう行っちゃうの」と訴えているようで、未だ眼に残っている。ケンタ、頑張れ!
(Nov.26)


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未分類 | 23:45:02 | Trackback(0) | Comments(3)
「無言館」のこと
物言わぬ絵に万感の無念見る

20071119230442.jpg信州は上田市、周囲を山々に囲まれた塩田平と呼ばれる田園地帯の丘陵地の頂に、「無言館」と呼ばれる新しいが古風な趣を感じさせる石造りの美術館が建っている。ここは別所温泉が近い。
館主は窪島誠一郎。画家・著作家・美術評論家で、知る人ぞ知る作家水上勉の落し胤である。1976年、35歳の時に劇的な再会をしてマスコミの話題となった方である。
「無言館」は太平洋戦争で志半ばで戦地に散った画学生30余名、300余点の遺作、遺品が展示されている。一種僧院の雰囲気があり、中に入ると美術館と言うより鎮魂曲でも流したほうが良さそうな重い空気の空間があった。絵と共に数多くの絵画道具やペンで描きなぐった手帳や習作等々・・・遺品展示館でもある。大半は東京美術学校(現東京芸大)の二十歳前後の学生である。人物画も多い。モデルは家族。裸婦は妻か恋人。恐らく召集を覚悟しての制作であったに違いない。それだけに一枚の絵に込められた愛情、慈しみ、感謝、絵に対する情熱と無念・・・様々な思いが伝わってくるようだ。
外に出て晩秋の澄んだ青空を眺めた時には、思わずホッとため息が出た。近くに旅した時には一度は立ち寄ろうと思っていた所であったが、これで一先ず懸案は果たした。          (Nov.8)

窪島誠一郎著 無言館 戦没画学生「祈りの絵」(講談社)より抜粋(サイトより引用)
『野見山先生には黙っていたけれども、先生の亡き画友への鎮魂録「祈りの画集」にうたれて「無言館」建設を思い立った私の心奥には、戦争にとことこ苦しめられ、口にいえぬ辛酸をなめながら貰い子の私を慈育し、報われぬまゝ先年この世を去った両親への憐れみがあったと思う。憐れみというのも甘い言い回しだけれども、私は死んでいった画学生のどの絵にも、あふれるような存命の歓びと肉親への感謝を発見して瞼がぬれたのだった。親が生きているうち、何一つ孝行せず、すべてを子の手柄のように考えてきた自分の姿をふりかえってやるせなかった。同時に、父や母の背後にあった「戦争」をも一顧だにしようとしなかった自分がなさけなかった。全国をめぐって戦没画学生の遺作を蒐めることは、そんな私自身の五十数年にわたる思いあがりの暦を、もう一どみつめ直すきっかけになるのではなかろうか。』

未分類 | 23:17:24 | Trackback(0) | Comments(2)
超新星
星ひとつ消えて天下の秋を知る
       片桐且元「桐一葉落ちて天下の秋を知る」を援用
消え行く星は大規模に爆発し、即ち超新星として新しき星を誕生させると言う。宇宙の壮大なる営みである。曰く死は生の始まりなり。
祇園精舎・・・を持ち出すまでもなく、人の世においても又然り。生は死の始まりであり、死は又次の命を生ずる。いや何、この期に及んで急に坊主になった訳ではない。世の無常に浸りたくなったわけでもない。ましてや世捨て人になった訳でもない。ゆめゆめお疑いめさるるなかれ。
さて、約七年前、テニスクラブのパソコン仲間で一つのMLが誕生した。
新鮮な情報広場として、世にも闊達な意見、心情、知識などの交換場所としてその勢いたるや一世を風靡する感があった。多い時には月に250件にも及ぶメールが飛び交い、芸術から学術、文学等何でもありの情報交換広場が出現した。当時の書簡をコピーしてアーカイブに保存してあるが、誠にレベルの高い交換論文集である。
情報交換を契機にお互いの人となりを知るに及び、惑星の如くテニス以外の様々な活動を生んでいった。老いも若きも、男女を問わず皆平等の認識が醸成され、まさに情報ビッグバンとも言える有様であった。
だがしかし、「夢破れて山河あり」・・・この世に真の平等は有り得ない。人間に原罪があるとすれば、それは権力志向では有るまいか?権力への希求心は一つのエネルギーであり、核爆発を起こす力がある。核融合によるエネルギーは、最終的には自らをも破滅に導き、遂には大爆発を引き起こす。やんぬるかな、さしもの情報星も大爆発を起こす羽目になってしまったのであった。
とは言え、超新星は又爆発の中から必ずや次なる新しい星の誕生を促す。残った残骸は、宇宙ではブラックホールとなり、全てを引き込み閉じ込めるが、人間世界ではそれは単なる燃えカスとして風化するのがオチであろう。生のエネルギーを持った熱いガスはしばらくは拡散を続け、何かを模索し続けるに違いない。そして、いずれその中から新しき星が生まれ出るはずである。
いよいよ冬の訪れを感じさせる秋空の下、ケチな人間界にミクロの宇宙を見たような気がする。
(Nov.17)


未分類 | 09:41:29 | Trackback(0) | Comments(0)
原風景の虚構
象山の壕に続くや里の秋

松代象山地下壕、万里の長城とまでは行かぬが壮大な(?)歴史的虚構である。
松代は川中島古戦場の要害の地。信玄が謙信越後勢の牽制のためこの地に拠点となる海津城を建て、高坂弾正を配した。後の松代城である。この地の底が太平洋戦争末期には大日本帝国の幻の政府拠点となるのであるから、不思議な巡り合わせと言う他はない。

20071116133650.jpg幕末の志士のカリスマ的存在、佐久間象山を祭る象山神社から10分足らず歩くと、象山の麓にその狭い坑道の入口が有った。トンネルの全長は約10km、此処に大本営と政府各省を移設するべく碁盤の目のように整然と掘り進められたが、終戦まで僅か9ヶ月の工期では到底完成には至らなかった。当時で2億円の巨費を費やし、延べ三百万人の地元民・朝鮮人が強制労働させられた。およそ馬鹿げた妄想と暴走の虚構である。その一端を残そうと、約500メートルほどの見学コースが作られており、残りは蝙蝠の棲みかである。未完成の壕内を歩くと心まで薄ら寒くなってきた。
今の松代は落ち着いた静かな田舎町であった。町中が真田一色、徳川時代は真田氏の領地であったから当然ではあろうが、小懸郡上田からこの辺りにかけての真田人気には凄いものがある。何処に行っても何を見ても六文銭が目に付く。上州沼田も又然り。日本中探してもこんなに人気のある領主は少ないような気がする。人を引き付ける何かがあるのであろう。
狂気の帝国軍部指導者により、この地が徹底的に破壊されなかったことを喜ぶばかりである。
象山壕に続く道すがらは日本の原風景、長閑な秋の気配に満たされていた。        (Nov.7)



未分類 | 13:48:52 | Trackback(0) | Comments(4)
森の精
森の主山の神なりブナ林

20071103221135.jpg
ブナ林は白神山地(青森県南西部から秋田県北西部にまたがる土地の総称)が世界遺産に登録され、一躍有名になった(クマゴローの勝手な解釈)。今まで寒冷地の樹木とばかり思っていたが、実は南は鹿児島から北は北海道南部まで広がる温帯性の主要樹木であると知って、いささか驚いた次第である。実を言うと、ブナと言う木を余り良く知らなかっただけの話に過ぎない。
ブナの原生林が意外と近くにあったと知ったのは、せいぜい三年ほど昔である。奥利根の山地にかなり広大な原生林がある。初めてその中を通った時の感動は今でも体に染み付いている。樹齢2?300年もあろうかと思われる古木や若木の生い茂る林に入った時は、その何とも言えぬ神々しい空気に寒気がしたほどであった。
20071103221054.jpgブナの樹は風格がある。幹には地衣類がびっしり付着していて、表現は悪いがカビの生えた像の足の様相を呈している。その中に水と森の精気を一杯蓄え、それを森の中に吐き出しているのだ。特に古木達は「森の精」とは彼らの事かと思わせる面持ちで、見る者を圧倒する重みがある。
それに魅せられて毎年訪れることにした。昨年は見事な紅葉であったが、今年は少し遅かった。行く途中は素晴らしい錦繍であったが、ブナ林に足を踏み入れた途端灰色の緞帳と変わり流石にガッカリ。それでも森の主の風格は変わらない。山全体がこの樹で守られている感じがする。森の深さ、落ち着き、しっとり感、神秘性・・・全てはこの樹から発する精気のなせる業かとも思う。
日本海側のブナ樹林は戦後相当に伐採されたらしいが、残る自然は守って欲しいものだ。  (Nov.1)





未分類 | 22:26:14 | Trackback(0) | Comments(2)

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