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悠山柏州

Author:悠山柏州
姓はクマ名はゴロー、人呼んで悠山クマゴロー

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歴史の宿命
新しき時代が来るか夏の暮れ

一つの時代が終った。
敗戦による国土壊滅の修復から高度経済成長期を経て安定期に入り、世界第二位のGDPを誇るまでに国力は回復した。64年の長きにわたって日本国をリードしてきた保守政権。その間官僚組織もそれなりに機能したと言えるであろう。ただ、一つの権力が長きに過ぎると必ずや腐敗が進み、内部崩壊が始まるのは古今東西の歴史が証明している。確かにその興隆期には何人かの英邁も出現する。しかし、最盛期が没落のスタートでもある。そしてその後は腐敗、崩壊の混乱期を経て消滅するのが歴史の方程式である。鎌倉幕府、室町幕府、徳川幕府・・・どれをとっても同様。最後は政権が弱体化し、為すべき機能を全うせず内部から自滅の道を辿ったものだ。
思えば4年前小泉劇場がハチャメチャな公演を行い大騒ぎしたが、無責任な座長が舞台をほおり出してしまった。「入場料を返せ」と騒ぐ観客を持て余し、その後2人の座長がノイローゼ気味で舞台を下りた。sink2.jpg4人目の座長は片意地を張り見栄を切ったものの力量及ばず器にあらず、劇団員は勝手に芝居をし始めた。世間はこんな劇団にもう一度素晴らしい舞台など期待はしない。
「過去の実績を見よ」「我こそ継続なり」「責任力(?)は我にあり」「新しい奴ばらに何が出来る」と口をひんまげ、誹謗中傷に明け暮れ、悲痛な声で叫びながら沈み行くものなのである。何でこうなるの?自己分析と評価即ち総括などする余裕は何時の時代も無いのである。
あっけなくも劇的な幕切れであった。ただ新しい時代はすんなりとは実現しない。過去の負の遺産が大きすぎるし、新政権は経験不足である。反対勢力は未だ存命で、心地よい権力と美味な利権を失った亡者は巷に溢れている。今回国民は新政権の示すベクトル、ビジョンを選択したが、政権側も国民も相当の我慢と努力が必要となるであろう。変革実現の為に国民目線でどれだけ必死になっているか、その姿が評価できれば我慢もしよう。さもなくば短期政権とならざるを得ない。
いずれにせよ将来に希望を持たせてくれることを切に願うのみ。          (Aug.30)


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未分類 | 11:59:55 | Trackback(0) | Comments(0)
やましき沈黙
空の青水の青にも歴史あり

やっと遅まきな夏がやってきたようだ。
64年目の終戦(敗戦)記念日、テレビでは各界著名人の「昭和20年の記憶」番組あり。白雲の浮かぶ紺碧の空をベランダから眺めながら、当時の国民の塗炭の苦しみと無念の気持を思いやる。
故郷北九州の空襲は6月15日?16日だったようだ。終戦の僅か2ヶ月前、クマゴロー3歳9ヶ月のぬいぐるみのように可愛いコグマであった。娘のやんちゃな次男とほぼ同年齢である。恐ろしい事にそんなチビにも戦時下の記憶が、何枚かのセピア色の写真として頭の中に焼きついている。
一枚目「灯火管制」。夜間敵機から見えないように電灯の光を隠す。我家では黒い幔幕を窓辺に張り巡らせていた。父親が外に出て光が見えないかどうか確認し、「よーし」と声をかける。
二枚目「防空壕」。空襲が始まった。恐らく夜中、母に「先に逃げなさい!」と叫ばれ、隣のサッチャンに手を引かれ防空壕に力いっぱい走る。記憶には無いが防空頭巾を被っていたに違いない。
三枚目「壕の中」。防空壕は崖をくりぬいた大きな洞穴であった。裸電球だかランプであったか定かではないが、橙色の明かりがつるしてあった。見知った人たちの顔が見えた。
四枚目「壕の外」。何事にも興味津々のコグマは壕の外が気になってしょうがない。大人たちに気づかれないようにそっと壕の入口に歩いて行き、首を出して夜空を見上げる。
五枚目「夜空」。綺麗な空だった。サイレンと爆音が鳴り響く中で数本の光の筋が夜空を左右に動いている。家の裏手の小山(石峰山302M)の頂上に高射砲陣地があり、そこの照空灯(探照灯)が敵機を探している。可愛いコグマは見とれていたが、危ないから中に入れと腕をつかまれ引き戻された。
六枚目「次の朝」。再びサッチャンに手を引かれ家に戻る。辺りの景色が変わっていた。4軒共有の井戸端を挟んだ手前2軒が完全に焼け落ち、我家の横壁は類焼でくすぶっていたが家は残っていた。母がツルベで水を汲み上げ父はバケツで必死に板壁に投げ上げている最中であった。家の真中にも焼夷弾が落ち床下まで貫通したが不発弾であった。
当時の父母の年齢は30歳。今考えると戦中戦後の親は実に強かった。食料不足の中、更に3人の男子を生み育てたパワーは恐るべきものである。その母も既に94歳。月日は経ったものだ。

先週NHKは「軍令部の反省会録音テープ」と言う番組を3夜連続で放映した。軍令部とは日本海軍の最高統括機関である(陸軍は参謀本部と言う)。未だ生きている海軍参謀達が集まり真実を語り反省し、後世に伝える事を目的に20年程前から百数十本ものテープに録音したものである。この番組で先ず驚いたのは目的とは裏腹に今まで公開しなかったことである。数少なくなった高齢者が死に絶える直前に、僅かに残った良心が公開に踏み切った様子であった。番組を見終わった時には何とも怒りがこみ上げ、空しく後味の悪い気持になった。
勝てる見込みの無い戦争にしゃにむに突っ走り、自分達の組織保全と面子を保つために国民に塗炭の苦しみを強いる。『志願兵』として自殺兵器回天で兵士を死地に向わせる容赦の無い作戦を遂行する。極めつけは極東国際軍事裁判(東京裁判)に於ける「裁判闘争」。海軍参謀達は事前に口裏を合わせ、悪しきは陸軍であり海軍はそれに引っ張られたと証言する。結果A級戦犯で処刑された7名は広田弘毅を除き全員陸軍関係者であった。さらに通例の戦争犯罪(B級)、人道に対する罪(C級)として処刑された者は何百人にも及ぶ。しかし、軍令部で処刑された者無し。かくして海軍は組織を守りきったのである。
反省会と言いながら、話すうちにやはり言い訳と自己保身が垣間見える。
誰もが本心では悪いと何処か思っては居る。但しそれを口に出しては言えない。言えば組織から抹殺される。而して流れに逆らえなくなる。そして正当化が始まる。元参謀の一人はこれを「やましき沈黙」と言った。責任は個人にあらず曖昧にする。組織を守るためにトカゲの尻尾を切る。この精神風土は現在の日本の組織、例えば政治家、官僚、大企業・・・にも今尚生きている。
「やましき沈黙」。これを打破し、先ずは自分の意見や思うところを堂々と言える自由と勇気を持って始めて民主主義が根付くのではなかろうか。その為の教育は実に不十分である。そう言う意味でも戦後総括はなされていない。
このところの終戦特集番組を見て思う事である。                       (Aug.15)


未分類 | 21:42:41 | Trackback(0) | Comments(2)

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