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悠山柏州

Author:悠山柏州
姓はクマ名はゴロー、人呼んで悠山クマゴロー

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ゲゲゲの世界
妖怪も日なたに出ればチンドン屋

ゲゲゲ
新しいNHK連続テレビ小説が始まった。題名は「ゲゲゲの女房」、漫画家水木しげるとその女房布枝のお話だ。何だか面白そう・・・。先週までの「ウエルかめ」その前の「つばさ」が可愛いヒロインの必死の演技にも関わらず沈没した。視聴率は最低を記録。罪は脚本家にあり。

一方、妖怪の本家霞ヶ関の視聴率は・・・これまた下がりっぱなし。「ウエルかめ」は幾ら下がっても罪は無いが、霞ヶ関はそうは行かない。
ゲゲゲの妖怪世界は人間世界の姿である。但し政治世界の妖怪パワーは一通りではない。文字通り魑魅魍魎の世界である。自民党時代は余りに長きに亘る政権中に、言うに言われぬ醜い且つ強力な妖怪が闇の中に無数に誕生し、うごめきあい、ひしめき合って金と権力、権謀術策の世界を形成してきた。だが作り上げた世界の秩序を自ら支えきれず、遂に自己破産に陥ったのが今回の政権交代であったと言えよう。妖怪世界を何とか人間世界に戻したいと言う国民の意志の表れであったとも言える。そして、新しい政権が進軍ラッパ高らかに登場。進撃を開始したが果たしてその戦果や如何に・・・。
7ヶ月間で「戦果」を問うのもどうかと言う気はするが、今までの動きを見ればその戦闘能力はおおよそ推し量ることは出来る。総司令官の能力、参謀の能力、戦略・戦術、部隊長の能力、戦士の力量・資質、輜重(しちょう)力、前線での戦闘能力、指揮系統、等等は如何であろうか?
冬眠から覚めたクマゴローの眠いまなこでも察知できる。それは戦闘力として全く機能していない軍隊の姿であった。先ず攻撃目標(マニフェスト)がくるくる変わる。指揮官、参謀、前線部隊長が全く連携していない。戦略も見えない。戦闘全体を誰が眺めているのか、指揮命令系統がどうなっているのかさっぱり分からない。これでは兵士はどう戦ってよいのやら。右往左往しいつの間にか味方同士がドンパチを始める始末。これでは闘いにならない。
流石に敵もあきれて苦笑い。茶番である。こんな戦闘部隊では「政治主導」をいくら叫んでも、輜重部隊である官僚組織も容易には従わないであろう。虎視眈々と巻き返しを図るべく、そして補給物資の横流しの機会を窺っているに違いない。ガバナビリティのかけらも見出せないのである。
政治世界はそもそも妖怪世界である。旧政権は本物の魑魅魍魎の世界であった。誰が何処でどう動いているか、だれが何を企んでいるのか・・・巧妙な妖怪秩序の闇の世界であった。その意味で名誉ある『妖怪金メダルリスト』でもあった。新政権も政治家である限り妖怪グループであるに違いない。ただその世界の統治経験が無いため「力量ある妖怪」に成長(?)していないのである。新政権では「我は妖怪何の某なり」と名乗っているから比較的よく見える。親玉も黒幕も容易に特定できる。言わば一般公開された妖怪世界のようなものである。正邪を見極める「目玉おやじ」の目は充血し、良心の戦士である「鬼太郎」の下駄の歯は欠け、髪は抜け落ち惨憺たる有様ではないか。そうなればそれは妖怪オリンピックのメダリストではない。「チンドン屋集団」とでも言った方が当っていよう。そのチンドン屋集団から一人でも二人でも本物の音楽家が誕生して欲しいと思うのは期待のし過ぎか。
いずれにせよ「チンドン屋」では世界の物笑いであり、誰もまともに舞台興行の交渉相手とは思わないであろう。アドリブのプロ集団によるジャズセッションを期待するのは大よそ無理な話しではあろうが、それよりも何よりも、そんな「一座」に生活を委ねている我々国民は惨めなものだ。
ただ、座長だけは何があろうともセレブな生活が保障されているのは、やはり宇宙をさまよう妖怪の面目躍如と言うべきか。
(Mar.30)


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未分類 | 10:44:42 | Trackback(0) | Comments(0)
惑う春
春衣今朝も脱ぎつゝ惑いつゝ

3月6日の啓蟄もすでに過ぎた。だが出かかった蟲の頭はこのところの寒さで再び潜ったのではあるまいか。クマ属も本音は穴に籠っていたいのだが世間は騒がしい。立春過ぎれば立て続けに行事が予定されているのである。昨日やっとその内2つが終了した。早春
先ずは2月19日「人物デッサンとクロッキー展」、24日に終了。
クマゴローとしては3年間の成果の出品である。3年前出品した旧作品を出して自室で眺めてみた。拙い!よくもこんなデッサンに臆面も無く知人を呼んだものだと密かに赤面した。が、まあこの3年間で多少なりとも上達はあったと言うことであろう。
次は「水輪会展」、昨日10日無事終了。エレーナ1
クマゴローは 人物、風景、静物、花と取り混ぜて4点出品した。あちこちで描いたものの寄せ集めである。
水輪会の歴史は古い。今年で24回目だから会として発足したのはそのまだ前になる。次男画廊の最古参かも知れないが、それにしては失礼ながら何だかしょぼい(?)サークルと言う気がする。講師の平川先生は2代目の指導者であるが、年に2回の指導日があるだけで、後は会員が自分勝手に描くグループである。このところ画歴の長い2名の男性が入会し、少しはレベルアップしたような気がする。出品作品としては皆で定期的に集まって描いた作品は少なく、夫々の日頃の成果の発表会と言った感じであり、自分としても一つの発表の場として位置づけているが、それはそれで良いのかも知れない。
有難い事に大勢の知人が来展してくれた。テニス、絵、パソコンの仲間、昔の会社のOB、学生時代の友人等々。毎日のように近くの居酒屋へと直行する。「クマゴローさんのお陰で賑やかな展覧会でした」との声も出たが「騒がしい」と言ったほうが当っていたであろう。絵を描く人描かない人、皆夫々の感想を述べる。皆が絵画鑑賞が好きだと言う保障は無い。ただそれでも何かコメントしていただけるのは有難い。当方にとってはホメ言葉よりクレームの方が重要だ。「そんな見方もあったのか」と改めて今後の改善点を認識できるからである。
一体に『良い絵』とはどんな絵を言うのだろう?観る人の感性が違うので一概には言えないが、誰が見ても「良い絵」と言うのがあるのだろうか?分からない。『好きな絵』と言うのはある。これこそ観る人によって様々である。しからば自分は何を、何処を、どんな絵を目指して修行すればよいのだろうか?何時も心に懸っている疑問である。
描く対象をモチーフと言う。「描きたい」と言う気になったモチーフに出会った時は比較的結果が良い。「描きたい」と言う気持ちは一種の「感動」である。自分が感動したモチーフ、これを画用紙上に表現する。そして観る人の心に何らかの「感動」を生ぜしめる、それが出来た時、その絵はその人にとっては「良い絵」ではあるまいか。見た通りを表現する、見た目とは異なるが極めて特徴的な部分を表現する、それは線であり、面であり、色であり・・・表現方法は様々であってよい。その意味では「絵は描き手から観る者へのメッセージである」と言うことが出来よう。
今は何となくそのように考えている。
(Mar.11)



未分類 | 21:47:23 | Trackback(0) | Comments(0)

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