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悠山柏州

Author:悠山柏州
姓はクマ名はゴロー、人呼んで悠山クマゴロー

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「無言館」のこと
物言わぬ絵に万感の無念見る

20071119230442.jpg信州は上田市、周囲を山々に囲まれた塩田平と呼ばれる田園地帯の丘陵地の頂に、「無言館」と呼ばれる新しいが古風な趣を感じさせる石造りの美術館が建っている。ここは別所温泉が近い。
館主は窪島誠一郎。画家・著作家・美術評論家で、知る人ぞ知る作家水上勉の落し胤である。1976年、35歳の時に劇的な再会をしてマスコミの話題となった方である。
「無言館」は太平洋戦争で志半ばで戦地に散った画学生30余名、300余点の遺作、遺品が展示されている。一種僧院の雰囲気があり、中に入ると美術館と言うより鎮魂曲でも流したほうが良さそうな重い空気の空間があった。絵と共に数多くの絵画道具やペンで描きなぐった手帳や習作等々・・・遺品展示館でもある。大半は東京美術学校(現東京芸大)の二十歳前後の学生である。人物画も多い。モデルは家族。裸婦は妻か恋人。恐らく召集を覚悟しての制作であったに違いない。それだけに一枚の絵に込められた愛情、慈しみ、感謝、絵に対する情熱と無念・・・様々な思いが伝わってくるようだ。
外に出て晩秋の澄んだ青空を眺めた時には、思わずホッとため息が出た。近くに旅した時には一度は立ち寄ろうと思っていた所であったが、これで一先ず懸案は果たした。          (Nov.8)

窪島誠一郎著 無言館 戦没画学生「祈りの絵」(講談社)より抜粋(サイトより引用)
『野見山先生には黙っていたけれども、先生の亡き画友への鎮魂録「祈りの画集」にうたれて「無言館」建設を思い立った私の心奥には、戦争にとことこ苦しめられ、口にいえぬ辛酸をなめながら貰い子の私を慈育し、報われぬまゝ先年この世を去った両親への憐れみがあったと思う。憐れみというのも甘い言い回しだけれども、私は死んでいった画学生のどの絵にも、あふれるような存命の歓びと肉親への感謝を発見して瞼がぬれたのだった。親が生きているうち、何一つ孝行せず、すべてを子の手柄のように考えてきた自分の姿をふりかえってやるせなかった。同時に、父や母の背後にあった「戦争」をも一顧だにしようとしなかった自分がなさけなかった。全国をめぐって戦没画学生の遺作を蒐めることは、そんな私自身の五十数年にわたる思いあがりの暦を、もう一どみつめ直すきっかけになるのではなかろうか。』
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未分類 | 23:17:24 | Trackback(0) | Comments(2)
コメント
無言館の事
クマゴローさんも行かれましたか。
小高い丘の上に立つ無言館、照明を落とした館内から外へ出ると胸の中に沈殿した
重いものをフーと、静かな風景と青空に吐き出したのを思い出します。
鑑賞する人の年代によって感じるものが異なるのでしょうが、平和な時代のありがたさは
確りと受け止めたいものです。
鎮魂の館、又訪れて見たい処です。
2007-11-22 木 18:58:31 | URL | 極楽天 [編集]
極楽天さん
しばらく前のメールで無言館に行かれたと書いてあったのを覚えています。
多分同じような気持で見て、同じような感慨を持って外に出たことでしょう。
2007-11-22 木 21:44:57 | URL | クマゴロー [編集]
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