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悠山柏州

Author:悠山柏州
姓はクマ名はゴロー、人呼んで悠山クマゴロー

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ああ、荒城
荒城に立ちて見ゆるは山の又山

岡城址木曽路はすべて山の中・・・とは藤村「夜明け前」の冒頭の一節。ここ豊後竹田(たけた)の岡城址も周囲は同じく山の又山である。
古のつわもの共の姿を重ね、人の栄枯盛衰をしみじみと歌い上げた「荒城の月」の舞台である。歌詞は土井晩翠で、目の前にあったのは仙台の青葉城だったかもしれない。しかし滝廉太郎が曲をイメージした岡城址の方がはるかに情緒を感じる。天空に聳え立つ荒れた石垣の淵から周りを睥睨すると、しみじみとした情感が自然とわきあがるから不思議である。一歩間違えば下は千尋の谷で、思わず足がすくむ。
この岡城址は幾たび訪れても凄いの一言に尽きる。小高い山の頂上をならし、自然の起伏を巧妙に利用して石垣を幾重にも積み上げ、二の丸・三の丸・西の丸・武器庫・賄い所・家老屋敷等々、更に一段高い場所に本丸跡。相当に広大な城なのである。何代にもわたって完成されたものであろうが、その築城技術に圧倒される思いがする。
城郭の無い今は荒れ果てた城跡を散策すると、名曲「荒城の月」が生まれる舞台は此処しかないという気がしてくる。
それに引き換えその城下町は又何と言う小ささであろうか。
10町村を合併しての竹田市は2万6千名の人口であるが、旧竹田町が恐らく城下町と思われる。車で回るのは窮屈なので徒歩か自転車での見物となるが、武家屋敷を目玉として歩いてもすぐに回り終わってしまう。立派なのは藩御用達の菓子屋「但馬屋」くらいだ。藩医の家に生まれた江戸時代の文人画家田能村竹田と滝廉太郎、とりわけ廉太郎一人で支えられている感のある小さな、静かな町であった。
滝廉太郎記念館の名誉館長、筑紫哲也氏が廉太郎の妹の孫であるとはそこで知った。 不明を恥じるのみ。   (Jun.5)
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未分類 | 10:29:07 | Trackback(0) | Comments(0)
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